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#292.細川ビル その弐

Posted by KINN Tailor on 22.2016 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 私が「細川ビル」に引っ越した昭和33年頃は、交通機関と言えば都電が全
盛期で、細川ビルの目の前にも「溜池」の停留所があったので、よく利用し
ていました。

 都電は前と後ろに乗降口があり、まだワンマンではありませんでしたので、
乗車してから車掌さんにお金を払いました。乗車料は13円で(うどんやソバ
が35円位)、初めの内は乗り換え料金が掛かりませんでしたので、気軽に利
用できる"庶民の足"と言った感じでした。運転手さんは立って運転していて、
特に囲いなどがある訳ではありませんでした。

都電のイラスト**

 今回の話を書きながら色々思い出していたのですが…溜池という場所柄、
食料品を買うのに結構苦労していたように思います。八百屋さんが 5分位歩
いた所にありましたが、肉や魚を買うには桜田通りまで行かないと駄目だっ
たと思います。生活雑貨などは近くに特許庁があったので、そこの地下に入
っていた売店などを利用していたように思います。細川ビルの地下にもお店
があり、靴屋と薬屋と飲食店でした。靴屋さんだけちょっと不釣り合いな感
じもしますが、細川ビルを建てる時に土地を提供した人のお店だったと記憶
しています。
 飲食店の中で一番大きかったのがビアレストランでした。このレストラン
の御主人は第一次世界大戦時に青島(チンタオ)に居たドイツ軍人で、捕虜
として日本に送られて来たそうですが、戦後日本で過ごしている内に日本の
生活が気に入ってしまい、帰国せずに日本人の方と結婚してレストランを始
めた…という事でした。ご主人のお友達は皆、本場のハムやソーセージを作
ったりレストランを開いたりして成功していたようです。
 細川ビルができる時に新しいお店を出す決心をしたそうで、味が良いので
しょう…とても繁盛していました。休みの日の夕方など、ビルの1階をブラ
ブラしていると「美味しいから食べにいらっしゃいよ」と誘われたりしたの
ですが、当時は小さい子供が外食をするのが難しかった時代でもあり、1度
も行けなかったのが残念でなりません。

 それ以外で不便だった事と言うと…子供の遊び場でしょうか。一応屋上に
ブランコや滑り台、砂場がありましたが、滑り台は何故だかコンクリートで
できていて滑りませんでしたし、砂場も途中から蓋をされてしまいました。
休みの日などは、同じビルの子供達と一緒に日比谷公園まで行ったりしまし
たが、普段はもっぱら屋上で遊んでいたように思います。

 細川ビルの隣にも同じ高さのビルが建っていたのですが、屋上に非常時に
隣のビルに渡れる避難路がありました。これはごく簡単な作りのコンクリー
トの橋で、側面は金網でした。普段は行き来ができないように、金網の扉が
付いていて鍵が掛かっていました。
 ある日子供達がいつもより高揚した様子で帰って来て「隣に行ってきた!」
と言うので、よくよく話を聞いてみると、例の避難路の扉をよじ登って橋を
渡った
…と言うのです。避難路の周りには落下を防ぐような物は何もありま
せんから、一歩間違えたら・・・転落!です。更に、怖がる子供には「目を
つぶって乗り越えろ!」
と言っていたそうですから、大騒ぎになりました。
 とりあえず何事もなかったのでホッとしましたが、当時の子供の遊び場は
基本的に屋外でしたから、屋上が遊び場だとこんな事を思いついてしまうの
かも知れません。今思い出しても肝が冷える話です。

〈つづく〉


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プロフィール

KINN Tailor

Author:KINN Tailor
服部晋(はっとり すすむ)
金洋服店 2代目店主
10代半ばから父・金生に師事し、洋服作りを修業。
伝統的な裁断・縫製技術を磨きながら日々研究を重ね「斜面裁断」や「プルダウン」など独自の技法を開発。
近年では後進指導のための私塾やセミナーなどを開催する一方で、技術継承のためにDVD制作にも積極的に取り組んでいる。

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