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#243.代用食

Posted by KINN Tailor on 17.2015 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 戦争末期から戦後暫く続いた食糧不足の頃は、毎日「今日は何を食べるか」
がその日の課題でした。つまり、主食(お米)に代わる物として何を食べる
・・・という事で、お米の代用という意味から「代用食」という言葉が使
われていました。

 以前にも書きましたが、私は御殿場に居た時期がありましたので、そこの
庭を耕し畑を作り、そこでたとえ僅かでも食べられる物を作っていました。
作りやすくてお腹に溜まる物となると、まず思い出すのが「トウモロコシ」
です。
 御殿場はトウモロコシを育てる環境に適していたようで、黄色いのと白い
のと2種類収穫する事ができました。白い方は茹でて食べると美味しく、黄色
い方は茹でても焼いても良かったと思います。
 次はイモ類で、サツマイモとかジャガイモとかは素人でも割と楽に作る事
ができました。今は「茹でたジャガイモもたまには食べたいな」と思います
が、それもこれもお米という大御所が控えているから「食べたい」と思うの
であって、それだけを頼りに生きている(多少大袈裟ですが…)時は、何が
食べたいというよりは「これを食べるのだ…」という感じでした。
 お米はそれこそ貴重品だった訳ですが、たまに近所の農家の人がお米や小
麦を分けてくれる事もありました。その場合お米は玄米で貰うので、一升瓶
に入れて棒で突いて白米
にしました。小麦の場合も同じように突いて小麦粉
にしたりしました。今にして思えば玄米のまま食べた方が栄養価は高かった
のでしょうが、玄米を美味しく調理する手段などなかったので、白米にして
いました。
一升瓶**
 ある時、叔父が訪ねて来て「今東京ではこんな器械を作ってパンを食べて
るんだよ」と教えてくれました。それは木で箱を作り、その両側面にブリキ
板を嵌めて電線を繋いだ器械
でした。そこに水で練った小麦粉を入れて電流
を流し、暫くするとパンが焼ける訳です。
 パン…と言っても膨らまし粉(イースト菌やベーキングパウダーなど)を
入れる訳ではありませんでしたので"パンのような物"なのですが、味を付け
たりする事もできましたし、やや固めのカステラ?のような物が当時として
はとても美味しくて、よく焼いて食べました。今イラストを描いていて思い
ますが、これが安全な器械だったかどうかは甚だ怪しいものです。

パン焼き器**

 食糧不足と言っても御殿場のような田舎はまだマシだったようで、東京の
ような都会は大変だったと思います。食べ物を売るお店や食堂には長い行列
ができて、皆食べ物を確保するのに必死でした。
 ある時新聞にこんな記事が載っていた事があります。ある人が食堂に並ぶ
人たちに向かって「南瓜(カボチャ)の種をあげます。誰でも自宅で簡単に
作れますから皆さんお持ち下さい。お金は不要です。お腹の足しになります。
皆で頑張りましょう!」と呼びかけていたそうです。
 最初はタダという事が信じられなかったようで、皆警戒して遠巻きに見て
いたらしいのですが、その人があまりに熱心に勧めるので、だんだん貰う人
が出てきて、本当に無料だとわかると皆喜んで貰って帰ったそうです。
 自分が生きる事に必死で他人の事まで考える余裕がない時に、立派な働き
をする人がいるものだ…と感心しました。

 終戦後は本当に物が何もなくなってしまい、色々と苦労をしました。でも
人はそれぞれ頑張ってゆけば次第に道は開けて来る…という事を学びました
し、他人のちょっとした優しさが身に沁みてあり難く感じました。また自分
人を思いやる気持ちを持つ事の大切さを教えられた時代でもあったと思う
のです。


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プロフィール

KINN Tailor

Author:KINN Tailor
服部晋(はっとり すすむ)
金洋服店 2代目店主
10代半ばから父・金生に師事し、洋服作りを修業。
伝統的な裁断・縫製技術を磨きながら日々研究を重ね「斜面裁断」や「プルダウン」など独自の技法を開発。
近年では後進指導のための私塾やセミナーなどを開催する一方で、技術継承のためにDVD制作にも積極的に取り組んでいる。

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