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#242.駅弁の思い出 その参

Posted by KINN Tailor on 10.2015 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 終戦後暫くして、少しずつ世の中が落ち着いて来た頃、用事ができて沼津
の親戚の家へ出掛けました。
 東京駅から列車に乗って席に座っていると・・・荷物を持った何人かの人
が乗って来て「只今から、"料理弁当"を販売させて頂きます。美味しく仕上
がっておりますので、どうぞお試し下さい」とアナウンスしました。その頃
はまだ米を自由に販売する事ができなかったのと、大抵の人が自分のお弁当
として握り飯だけを持って来ていたので、おかずだけの"料理弁当"を売る事
を誰かが思い付いたのだと思います。
 その後のアナウンスで「尚、外食券をお持ちの方は主食(お米)付きでお
買い求め頂けます」と言っていました。
 "外食券"について簡単に説明しますと・・・当時のお米は配給制でした。
その配給されるお米の一部を現物ではなく"外食券"で貰う事もできました。
これを持っていれば、許可を貰っているお店でお米を食べる事ができました。
つまりお金を持っていてもお米を自由に買う事はできませんでしたし、許可
がないお店が自由にお米を提供する事もできなかったのです。

 私の向かい側に子連れで座っていた人が早速料理弁当を買って食べていま
した。内容は肉や魚、野菜などが何種類か詰め合わせた物でしたが、これが
終戦後に私が見た初めての駅弁だったのです。
 それこそ今のような凝ったお弁当ではありませんでしたが、色々な事が少
しずつ正常に戻って来た
ように感じられて安心したのを覚えています。…が、
その一方で私達日本人にとってはご飯とおかずが一緒になった物が「お弁当」
…という先入観がありましたから、料理弁当と言われてもピンと来ないな…
という感じで、少々違和感があったのも事実です。

 今の日本では「コメ離れ」と言われているようですが、戦前はお米が全て
みたいな感じでしたから、とにかくその年が豊作かどうかというのが毎年の
大きな話題で、ラジオのニュースで「今年は豊作です!」と流れると皆ホッ
としたものです。
 ですから戦争末期頃には、お米が不足して随分苦労しましたし、「代用食」
という言葉がとても大きな意味を持っていたのです。多分若い方達には理解
し難いと思いますし、駅弁の話とかけ離れてしまうので止めておきましょう。

 さて、その後も色々な駅弁を食べましたが、中でも一番印象に残っている
のが有名な「峠の釜めし」です。
 当時の信越線は軽井沢の手前が日本有数の急勾配だったので、横川の駅で
列車を押して貰う機関車をつなぐ必要がありました。その少し長い停車時間
を乗客は待ち構えていて、駅に着くと皆がホームへ降りて「峠の釜めし」を
買っていたのが懐かしいです。
釜めし**
 これは昭和33年から販売されたのだそうですが、当時としてはとても新
しい発想の駅弁でしたし、食べた後に益子焼の容器を家に持って帰るのも
楽しみの一つだったのです。
 皆さんのお家にも一つ位はあったのではないでしょうか?


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プロフィール

KINN Tailor

Author:KINN Tailor
服部晋(はっとり すすむ)
金洋服店 2代目店主
10代半ばから父・金生に師事し、洋服作りを修業。
伝統的な裁断・縫製技術を磨きながら日々研究を重ね「斜面裁断」や「プルダウン」など独自の技法を開発。
近年では後進指導のための私塾やセミナーなどを開催する一方で、技術継承のためにDVD制作にも積極的に取り組んでいる。

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