Loading…

#186.絹の話 その弐

Posted by KINN Tailor on 07.2014 裏地の話   0 comments   0 trackback
 前回、絹は洋服の裏地として沢山使われていた…と言う話をしましたが、
私共の店でも戦前は裏地と言えば大抵は絹でした。

 父は海外の服を参考にして、当時日本では使われていなかった新しい織柄
を発注していました。「フランス綾」などは、父が日本で最初に使い始めた
のだそうです。
 絹裏地は主として新潟にあった「越後サベリ」という会社に頼んで作って
貰っていました。発注していた裏地は表地の色に合わせて黒、紺、鼠などが
主流でしたが、その頃は茶色の服が今よりずっと多かったので、茶系の裏地
も何色か頼んでいたようです。茶色の服が今よりもずっと多かったというの
は現在店にストックしてあるを見るとよくわかります。
 当時父はもオーダーしていました。かなり大量に作った物もありました
ので、私も遠慮なく使いました。黒やグレーは大分なくなりましたが、茶色
の釦
はまだ沢山残っているのです。今は茶色の服が少ないので在庫が減らな
い…という訳です。
 さて、話を戻しまして・・・絹の裏地を使う箇所は主にジャケットの胴
コート(コートは全て)です。
 袖裏ベストの裏地パンツの腰裏などは傷みやすい箇所なので、絹は使
わずに綿とレーヨンの混紡を使い、別の裏地屋さんに注文をしていました。
裏地は他にもアルパカ地化繊(人絹)など数種類使いましたので、裏地屋
さんとのお付き合いは他にも幾つかありましたが、越後サベリへの発注が最
も多かったと記憶しています.
 当時は国産の絹が主流で、その需要もかなりの物だったのです。子供の頃
の記憶ですが、御殿場へ行く途中の「駿河小山駅」近くにも絹糸工場があり
ました(確か「富士紡績」だったと思いました)。
 横には小さな水力発電所があり、工場とパイプで繋がっていましたので、
多分工場専用の発電所だったのだと思います。当時は電気の受給が安定して
いなかった事もあると思いますが、自社の発電所が必要な程始終機械が稼働
していたのでしょう。こういった大規模な工場はそう多くはなかったと思い
ますが、製糸工場は日本各地に沢山ありましたから当時絹は日本の一大産業
だったのがわかります。
 ところが米国のデュポン社が1935年にナイロンを開発してから、裏地の
事情が徐々に変わっていきました。
 私が20代の頃は「礼服には絹を付けて…」というお客様もいらして、絹と
合繊を選ぶ割合は半々位でしたが、それから10年もたつと巷では色々な種類
の合繊がと発明され、私共の店でも"キュプラ"などを沢山使うようになり、
絹の需要はめっきり減ってしまいました。
 現在では絹の裏地を注文なさる方はごく稀で、むしろ表地に絹(混紡とし
て)を使う傾向にあります。

 最近耳にした話では・・・日本の絹織物の技術は大変進歩していて、まる
透き通るような極薄の絹が織れるようになったとかで、フランスなどでは
舞台衣装として大いに評価されているそうです。
 日本の技術を活かした物がこれからも沢山でて来るのを楽しみにしたいと
思います。


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://kinntailor.blog98.fc2.com/tb.php/258-83bced92

プロフィール

KINN Tailor

Author:KINN Tailor
服部晋(はっとり すすむ)
金洋服店 2代目店主
10代半ばから父・金生に師事し、洋服作りを修業。
伝統的な裁断・縫製技術を磨きながら日々研究を重ね「斜面裁断」や「プルダウン」など独自の技法を開発。
近年では後進指導のための私塾やセミナーなどを開催する一方で、技術継承のためにDVD制作にも積極的に取り組んでいる。

カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR