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#364.土筆ヶ岡養生園 その弐
病院の入り口には見上げる程の立派な門がありました。
このお屋敷が一体どなたの物か調べた訳ではありませんが、病院の人達が
「伊達屋敷」と呼んでいましたから、「伊達藩」のお屋敷だったのだと思い
ます。
門を入りしばらく歩くと、間口の広い玄関がありました。そこで土足を脱
ぎスリッパに履き替えます。
長い廊下の片側には診療室や看護婦さんの詰め所があり、反対側には大き
な襖が並んでいました。襖の部屋は病室で、畳式の日本間に木のベッド…と
いうスタイルでした。敷地は結構広く、私の記憶では全部で建物が4棟あり、
他に庭やテニスコートがありました。
この養生所は明治の終わり頃にできたそうですが、その頃は「水道」が
なかったので、創設者の北里先生が敷地の端に盛り土をして、そこにタンク
を据えて「自家水道」を作られたそうです。
私が入院した時には勿論水道はありましたので、その盛り土をした小山だ
けが残っていて「水道山」と呼ばれ、患者さんの散歩コースの一つになって
いました。
前回も書きましたが、当時「結核」に効果がある薬はありませんでしたの
で、まずは安静にして自然に治るのを待つ・・・という治療法でした。
病院での日課は、検査を受けて必要な注射を打ってもらう・・というもの
で、その他の時間はベッドでおとなしく過ごさなければならなかったのです
が、私はまだ子供でしたし、体調も良かった(多分感染はしていたが、発病
はしていなかった)ので、医者の言う事を聞かずに遊び回っていました。
病院に時々やってくる野良犬を手懐けて、飼い犬のように連れ歩いたり、
得意の模型飛行機を作って、テニスコートで飛ばしたりしていました。
この模型飛行機は、いつの間にかファンがついて、飛ばすのを楽しみにし
てくれる患者さんが数人いましたので、私も張り合いが出て、何機も作って
飛ばしました。

病院で野良犬を飼った…など、今考えると「不衛生極まりない!」となる
のでしょうが、当時は特に問題になりませんでした。"入院中の子供が野良犬
を可愛がっていたら懐いて、飼う事になったのを周りが微笑ましく見守って
いた・・・”と言うような、ごく自然な流れでした。
それよりも、子供の私でも「おかしいのでは?」と思ったのが、近所の子
供たち(健康な人達)が、養生園に遊びに来ていた事です。
その親御さんも、養生園にどういった患者が居るかはわかっていたと思う
のですが、「感染」に対する認識が今とは全く違ったのかも知れません。
〈つづく〉
このお屋敷が一体どなたの物か調べた訳ではありませんが、病院の人達が
「伊達屋敷」と呼んでいましたから、「伊達藩」のお屋敷だったのだと思い
ます。
門を入りしばらく歩くと、間口の広い玄関がありました。そこで土足を脱
ぎスリッパに履き替えます。
長い廊下の片側には診療室や看護婦さんの詰め所があり、反対側には大き
な襖が並んでいました。襖の部屋は病室で、畳式の日本間に木のベッド…と
いうスタイルでした。敷地は結構広く、私の記憶では全部で建物が4棟あり、
他に庭やテニスコートがありました。
この養生所は明治の終わり頃にできたそうですが、その頃は「水道」が
なかったので、創設者の北里先生が敷地の端に盛り土をして、そこにタンク
を据えて「自家水道」を作られたそうです。
私が入院した時には勿論水道はありましたので、その盛り土をした小山だ
けが残っていて「水道山」と呼ばれ、患者さんの散歩コースの一つになって
いました。
前回も書きましたが、当時「結核」に効果がある薬はありませんでしたの
で、まずは安静にして自然に治るのを待つ・・・という治療法でした。
病院での日課は、検査を受けて必要な注射を打ってもらう・・というもの
で、その他の時間はベッドでおとなしく過ごさなければならなかったのです
が、私はまだ子供でしたし、体調も良かった(多分感染はしていたが、発病
はしていなかった)ので、医者の言う事を聞かずに遊び回っていました。
病院に時々やってくる野良犬を手懐けて、飼い犬のように連れ歩いたり、
得意の模型飛行機を作って、テニスコートで飛ばしたりしていました。
この模型飛行機は、いつの間にかファンがついて、飛ばすのを楽しみにし
てくれる患者さんが数人いましたので、私も張り合いが出て、何機も作って
飛ばしました。

病院で野良犬を飼った…など、今考えると「不衛生極まりない!」となる
のでしょうが、当時は特に問題になりませんでした。"入院中の子供が野良犬
を可愛がっていたら懐いて、飼う事になったのを周りが微笑ましく見守って
いた・・・”と言うような、ごく自然な流れでした。
それよりも、子供の私でも「おかしいのでは?」と思ったのが、近所の子
供たち(健康な人達)が、養生園に遊びに来ていた事です。
その親御さんも、養生園にどういった患者が居るかはわかっていたと思う
のですが、「感染」に対する認識が今とは全く違ったのかも知れません。
〈つづく〉