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#350.地下鉄 銀座線の話

Posted by KINN Tailor on 29.2018 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 今日は懐かしい話を思い出したので、そのお話を・・・。

 東京に地下鉄ができて昨年末(2017年12月)で90周年だったそうで、年が
明けても様々なイベントが開催されているようです。
 昭和の年号で言うと今年は昭和93年ですから、地下鉄は正に昭和と共に
走ってきた訳です。まず初めに上野~浅草間が1927年に開通しました。東京
地下鉄道株式会社としては、新橋~浅草間の予定だったそうで、その7年後
の1934年にその区間が開通し、完成となりました。

 その頃私は、新橋から虎ノ門の方へ少し歩いて行った所に住んでいました
ので、銀座とか日本橋のデパートへ行くのに地下鉄を利用しました(まだ5歳
位ですからこの記憶はボンヤリしています)。
 そして私が小学校へ通うようになってから、東京高速鉄道株式会社がもう
1本の新しい地下鉄を渋谷~新橋間に走らせました(1939年)。
 この地下鉄ができた時に一番話題になったのが、渋谷駅が地上3階だ
という事でした。皆さんは、銀座線の渋谷駅は3階にあるのが自然の事と思
ってらっしゃるでしょうが、当時としては「地下を走る地下鉄が3階から出発
する」という事がとても不思議で、渋谷駅を発車すると乗客から「ワー、
高い!」
と歓声が上がったりしたものです。
 現在、銀座線は渋谷~浅草で1本の路線ですが、当時は会社が違いました
ので別々に運営されていた
のです。ですから乗り換えも不便で、子供の私は
「会社が違うのはわかるけど、どうして早く相談して路線を繋げないのかなぁ」
と不思議に思っていました。当時の新橋駅は、同じ方向にも関わらず乗り換え
るのに1階分上ったり降りたり
しなければなりませんでした。
銀座線1**

 その地下鉄に乗った印象ですが…とにかく音がうるさかったです。人と喋
るなんて、とてもとても・・・。それからすると今の地下鉄は本当に静かです。
そして、車内の電気がチョコチョコ消えたりしていました。送電線の接続が、
今とは違うのだそうです。
 感激した事もありました。扉が自動だという事でした。当時、バスは車掌
さんがドアの開け閉めをしていましたし、列車は自分でドアを開けていまし
たので、"自動ドア"というのは画期的でした。
 先日、テレビで地下鉄開通90年を話題にしていた時に「当時の切符をお見
せしたいと思っていましたが、なかなか見つからないんですよ」…と出演者
の方が言っていましたが、もし開通当時の事を言っているのであれば、この
方は少々不勉強だと思いました。
 当初は切符はなく、改札の機械に小銭を入れるとレバーが開いて電車に
乗れるようになっていたのです。
銀座線2**
 私は、この自動でレバーが上がる改札を「なかなか良くできているなぁ」
と思い、気に入っていました。しかし、その後料金が一律でなくなった事が
理由なのか、切符になっていまい、この改札も姿を消すこととなります。

 あれから約80年。技術は進歩するものですが、まさか改札に磁気カード
をかざすだけ
で電車に乗れる時代が来るとは、考えてもみませんでした。

#335.望遠鏡の話 その参

Posted by KINN Tailor on 17.2017 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 買った望遠鏡キットの説明書には次のような事が書かれていました。
①適当な板の上に丸いガラスを1枚固定させる。
②その板を、腰の高さ位の台に乗せる(もしあれば、樽のような丸い台が
 良い)。
③ガラスの上に研磨剤を振りかけ、そこに水をかけて、もう1枚のガラスで
 磨く。
④ガラスを磨きながら、自分も台の周りをゆっくり回る。

 手頃な台を探すために物置の中を見てみると、樽はありませんでしたが、
丁度良い高さの台がありましたので、それを使う事にしました。
 そこにガラスを乗せて磨いていくのですが、その方法は…上のガラスを
上下に動かしながら更にガラスを一方向へ回し、自分も台のまわりを回る

・・というものでした。
 頭では理解できましたが、実際にやってみようとしてもなかなか体が動き
ません。まずガラスを上下に動かすのが簡単にはできませんでした。更に
上下に動かしながらガラスを回すのも思うようには行きませんでした。
 最初は、ガラスを上下に動かして自分も台のまわりを回れば、自動的に
ガラスも回るような気がしましたが、説明書によると、それでは駄目だ…と
いう事でした。
 ガラスを上下に動かしながら更に回して、そして自分も台の周りを回らな
くてはならない
のです。
ガラス磨き

 最初はごくゆっくり、ぎこちない動作でガラスを磨き始めました。
 1日に2~3時間は磨いたでしょうか…だんだん慣れて来て動きがスムーズ
になっていき、1週間位磨いている内に上のガラスが凹んで来ました。
 そこで、ガラスをよく洗ってから電灯の光を当て、反射した光を鏡に当て
てみました。
 すると光がスーッ…と小さな輪になったので、何か苦労が報われたような
気がして嬉しくなりました。
 そこで、さらに2~3日掛けて丁寧に磨きをかけ、表面がツルツルして来た
ところでガラスは良しとしました。
 次に木の板で枠を作り、片側に反射鏡を取り付け、それを受ける平面鏡
覗いて見る所に接眼レンズを付けて…どうやら完成しました。

手作りの反射望遠鏡

 夜になって星を見てみると、とても綺麗に見えたのでとても感激しました。
ところが次の日の昼間に景色を見てみると、何となく景色が歪んでボンヤリ
して見えたのでがっかりしました。やはり素人の仕事ですから仕方がない事
なのかも知れません。

 当時の私の性格からすると、もっともっと良く見える望遠鏡作りに取り組
んでいきそうなものですが、そうしませんでした。
 模型の飛行機や船を作るのが好きだったのは、それができた後に遊べるの
が楽しかったのと、自分で模型の設計ができたところが、熱中できた点だと
思います。
 結局、私の望遠鏡作りはこの1台で終わってしまいましたが、今になって
みると、もう一度ちゃんと作ってみたいような気がしています。

#334.望遠鏡の話 その弐

Posted by KINN Tailor on 10.2017 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 模型コンクールの賞品として貰った望遠鏡は・・・その後、早速御殿場
持って行き、使ってみる事にしました。

 当時の私は、望遠鏡については「倍率」の事位しかわかりませんでしたが、
その望遠鏡は5~7倍はありそうでしたので、大いに期待して、夜にまず
見てみました。
 いつも何となく兎みたいな形に見えていた所が、少しハッキリ大きく見え
たので、「なるほど、面白い」と思いましたが、翌日の昼間に箱根山を見て
みたところ、乙女峠の所に何故か1本だけ生えている木が、実に良く見えた
事の方が興奮しました。
 やはり兎みたいな影よりも、遠くにある実際の木の方が現実的で感動した
のかも知れません
箱根山

 まだ中学生だった事もありましたが、"賞品"にかなり期待をしてしまった
ところがありましたので、「いつもよりは見えたけど、それ程大した物でも
ないな」・・・という気持ちになってしまいました。
 ただ、その残念な気持ちが逆に"望遠鏡への興味"へと変わって行き、少し
調べてみたくなりました。
 丁度、『子供の科学』の出版社から、中学生に向けた望遠鏡に関する本が
出ていましたので、買って読んでみました。

 すると、色々な事がわかってきました。まず…私が貰った望遠鏡は「屈折
望遠鏡」
で、対物レンズで集めた遠くの光を、接眼レンズで拡大する仕組み
でした。
 本には、それとは違う種類の「反射望遠鏡」の事も書かれていて、これは
レンズの代わりに「反射鏡」を使う方法で、屈折望遠鏡よりも見易いという
事でした。屈折望遠鏡の場合は後側から覗きますが、反射望遠鏡は本体の横
から
覗いて見ます。
 まずその事に惹かれましたが、私が一番興味を持ったのは「素人でも作れ
る」
と書いてあった事なのです。
 本によると・・・対物レンズは星なら星の光を通して像を作る訳ですから、
レンズの両面が綺麗に磨かれていないと駄目なのですが、反射鏡は光を通す
訳ではないので、片面だけ綺麗に磨かれていれば良く、作るのがずっと楽だ
・・・という事らしいのです。

望遠鏡

 そして、私位の少年が手に持った反射望遠鏡を覗き込んでいるイラスト
載っていて、それがいかにも楽しそうだったので、「それじゃ、一つやって
みるか!
」と思ってしまったのです。

 今思えば出版社の思う壺だった訳ですが、材料も販売していましたので、
それさえ買えば簡単に作れる・・・というのも魅力でした。
 すぐに材料を取り寄せてみると、直径10cm位の丸くてやや厚いガラスの
板が2枚と研磨剤、そして作り方の説明書が届きました。
 その日から暫くの間、反射鏡作りに熱中する事になったのです。

〈つづく〉

#333.望遠鏡の話 その壱

Posted by KINN Tailor on 03.2017 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 私が中学生になるかならないか・・・の頃の話(1942年頃で戦中です)を
したいと思います。

 当時私は東京の家と、(疎開先でもある)御殿場の家とを行ったり来たり
していました。
 御殿場に居る時は、畑仕事をしたりして自然に馴染んだ生活をしていまし
たが、その一方で「ラジオ製作」にも熱中していました。
 御殿場の商店街にラジオ屋さんがあったので、そこで部品を買っては作る
のを楽んでいましたが、ある時そこのご主人から「ラジオが作れるんなら、
ウチで修理を手伝ってよ」と言われ、手伝い仕事をするようになりました。
 仕事は主には「ハンダ付け」でしたが、専門的な話を聞かせて貰ったり、
手間賃代わりに部品を貰ったりしましたので、私としては願ってもない経験
でした。

 その頃、中学生向きに「子供の科学」という雑誌が出ていて、私も愛読し
ていました。ある時「模型製作コンクール」というのが開催され、一般から
作品を募集していましたので、一番得意だったラジオを作って応募する事に
しました。
 当時のラジオの主な部品は、真空管、トランス、バリコン等でしたので、
結構大きなサイズ…大体横幅が40㎝位で奥行きと高さは25㎝位でした。
特に真空管は大きな容積を占める代物でした。
 そこで出来るだけ小さいラジオを作ってみたい…と思うようになり、且つ
ただ小さいだけでなく性能も良くしようと思い、当時最新式だった"スーパー
ヘテロダイン"
という組み立て方にする事にしました。
 真空管が普通3本のところを4本使い、コイルなどは自分で巻いたりして、
何とか普通のラジオの半分位の大きさにする事ができました。
 この"スーパーヘテロダイン方式"で組み立てた上に小さくまとめられた
のは、ラジオ屋さんでハンダ付けを散々やったお陰で、細かい所の作業が
上手くできたからです。

 応募してから1ヶ月後位に雑誌社からハガキが来て、思いがけず3等賞
選ばれていた事がわかりました。
 その表彰式があると言うので雑誌社に行ってみると、応募して来た作品が
展示場のような所に飾られていました。
 1等賞は「小型の模型電車」だったのですが、これが本当に素晴らしく、
今でも鮮明にその作品の事を覚えています。
 小型は小型でも驚く程の小ささで、レール幅が8㎜(2本で)しかない
のです。そこに合わせたサイズの模型の電車が走るのですが、一体モーター
等がどうなっているのか?…本当に不思議で、「これが1等賞になるのは誰
もが納得するな」と思いました。
 1等が素晴らし過ぎたので、2等が何だったかはすっかり忘れてしまいま
したが、私は3等賞の賞品として「望遠鏡」を貰いました。
 「さっそく御殿場で夜空の星を観察しよう!」と、張り切って望遠鏡を
持って帰ったのです。

〈つづく〉

#331.懐かしい生地屋さんの話

Posted by KINN Tailor on 19.2017 懐かしい話   0 comments   0 trackback
 先日、ある情報誌の中にとても懐かしい名前を見つけました。

 その情報誌では「神戸由緒」と題した特集を組んでいて、神戸の開港から
始まった国際港湾都市の歩みを紹介していました。
 その記事の「ハイカラ文化の源流」という所に、「日本で最初のオーダー
メイドの洋服屋」
として『柴田音吉商店』が紹介されていたのです。
 このお店は、我々オーダーメイド屋で(ある程度年齢を重ねた人であれば)
知らない人は居ない…と言っても過言ではないお店なのです。

 創業は明治16年。初代柴田音吉さんは、日本で最初に神戸で近代洋服の
お店をオープンした英国人の一番弟子
として仕立てを学ばれた方だそうです。
 そしてその後の何代目かの方が、洋服屋とは別に『柴田商事』という会社
を興して生地の輸入を始められました。
 ヨーロッパで大変有名な「ドーメル(DORMEUIL)社」の生地も扱って
おられ、丁度私の店でもドーメルの生地を沢山扱うようになっていたため、
柴田商事さんともだんだん親しくなりました。私が仕事を始めた頃の事です
から、かなり昔の話になりますが・・・。

◇ドーメル(Dormeuil)社の生地見本
ドーメル生地

 会社の正式名称は『柴田商事』なのですが、"柴田音吉商店"の名前の方が
親しみがあったのか…我々の間では「シバオトさん」と呼んでいました。
 平成6年にあるテレビ局からの依頼で、私がお客様の服を一着仕立てる迄
の様子を撮影する
事になったのですが、その中で「生地屋さんに行って見本
を見ながら生地を仕入れる」
…という場面を撮る事になりました。
 そこで、一番親しくさせて頂いていた「シバオトさん」にお願いをして、
八丁堀にある事務所で撮影をさせて貰いました。
 その2~3年後の事だったと思いますが…ある事情から『柴田商事』さんは
事業をやめてしまう事になり、私だけでなく業界の人はかなりショックを受
けた事と思います。

 神戸の洋服屋さんの方は、その後も続けておられている…と聞いていまし
たが、今回偶然記事を読む事ができて、"シバオトさん"との思い出が一気に
蘇りました。
 生地屋さんが居なければ洋服屋は始まりませんが、生地を購入するだけで
はなく、生地屋さんが持っている洋服屋では知り得ない情報を教えて貰った
り、逆に洋服屋も生地屋さんではわからない情報を伝えたり・・・という事
もあります。
 私にとって生地屋さんは、色々相談する事ができる"頼れる仲間"なのです。
  

プロフィール

KINN Tailor

Author:KINN Tailor
服部晋(はっとり すすむ)
金洋服店 2代目店主
10代半ばから父・金生に師事し、洋服作りを修業。
伝統的な裁断・縫製技術を磨きながら日々研究を重ね「斜面裁断」や「プルダウン」など独自の技法を開発。
近年では後進指導のための私塾やセミナーなどを開催する一方で、技術継承のためにDVD制作にも積極的に取り組んでいる。

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